大人の為の長崎寿司処
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大将日記
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たまには寿司の話でもしましょうか?
握り寿司の歴史はそんなに長くないんですよ!
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大将の仕事場、まさるのカウンターの中です。カウンターの中を「つけ場」と言います。すしはもともと獣肉や魚介類を保存する為の手方で、奈良時代や平安時代の木筒や文献にありますばい!その頃の文字は「鮓」です。他にも「鮨」の文字があります。「鮓」は皆様ご存知の「なれずし」のように発酵させて飯(シャリ)に魚ば漬け込むという意味ですね。「鮨」は昔の中国で「魚の塩辛」の意味でしたばってん、鮓の持つ意味を混合されるようになったので用いられる用になったとです。そして皆様がよく使う「寿司」は江戸時代の末期にできた当て字スッね!簡単に言いますと「寿(ことぶき)を司(つかさどる)」と言う意味です。その時代時代の呼び名があったということです。

ちなみに握り寿司は江戸後期の天保年間に考案されました。「鮨」の字もこの頃出てきたとですよ。マグロが人気だった為とも言われておっです。考案した方は「華屋興兵衛」又は「境屋松五郎」とも言われとっです。この頃の鮨は「屋台」でした。他にも「天ぷら屋」さんも「蕎麦屋」さんも「鰻屋」さんも屋台でしたので、参勤交代で江戸に来ていた武士も多かったでしょうから皆、当時の「ファーストフード」ば楽しんでいたとでしょうね♪ 庶民もまた、お風呂の帰りに来てたみたいですばい!握りを3,4個食って「おしぼり」のなかけん「暖簾」で手を拭いて帰ったそうですので、暖簾が一番汚れている屋台が一番人気の寿司屋だったそうです!(笑) 嘘のようなほんとの話。ちなみにこの頃の握りは「おむすび」みたいな大きさでした。ですので現在「お好み」で注文すると2貫出てくるのは当時の大きさのな残りですばい。まぁ他のお店は知りませんが、大将は1貫でも承ってますけんお気軽に御注文くださいね!

その江戸時代にできた握り寿司。当時は酢に浸けたり、マグロを「ズケ」にしたりした「生」ではなか「ネタ」でした。ですけん最初に言ったカウンターの中はその作業をしてたので「つけ場」と言うとですよ!今のような生ネタになったのは明治以降。氷が普及してからのことでした。そして全国に握り寿司が広まったのは「関東大震災」で全国から復旧作業にきた人の中から握りの「修行」ばして地方に帰っていった人たちのお陰です。それまでは関西は「箱寿司」でしたからね。「関東風おでん」も同じだと聞いています。そうやって全国で握り寿司が発展していったとです。

その後握り寿司も最大の危機が訪れました。「太平洋戦争」です。戦後食糧難だった日本、特に東京は「飲食営業緊急措置令」が出され、表立ってお店の営業ができんごとなったとです。そこで知恵を絞った東京の寿司組合の有志達が立ち上がり、お客様が持ってくる1合のお米とこちら寿司職人が握る握り10貫と交換して都に営業を認めさせたとです。これを日本全国がこのやりかたに従った為、日本で寿司といえば「江戸前寿司」一色になっていったとですよ。ところで「江戸前」というと皆様は「江戸城」の前の海で獲れた魚と思うでしょう?それもあるとですが、「お手前」とか「男前」、「腕前」「一人前」とかの職人のそのものとしての面目を差しますとばい!お金をいただいて自分の心意気をお出しすることであります。

その後「高度成長期」に入り屋台は「衛生的」になくなっていき、寿司屋もお店を構えて高級食事処に変わっていきました。 それが現在の寿司屋です。今では回転寿司もあり宅配寿司屋もありスーパーでも売ってます。世界各国でその国の国民に合う「カリフォルニアロール」のような寿司も出て世界で愛される日本食になってます。ばってん、世界のセレブ達は日本伝統の正統派「江戸前寿司」を食べる傾向になってきました。皆様も自分の国、日本の伝統食「握り寿司」を機会がございましたらカウンターでお召し上がりになりませんか?この話の続きを大将がお話ししますよ♪

それでは今日はこの辺で。また来週木曜日に更新予定ですばい!!
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by shu-masaru | 2015-01-25 11:11 | 大将日記
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